富岡幸一郎さんの書評 [紹介記事]
共同通信によって地方紙に配信される書評で、富岡幸一郎さんが『新約太宰治』について書いてくださったという話をしばらく前に聞いていたのだけれど、いまさらながら現物を目にした。
早いところでは8月ぐらいから掲載されていたようであるが、わたしが手に入れたのは9月3日付けの長崎新聞である。三田文学編集部の後輩が、勤めている会社にあったというのをくれたのである。サンキュー。
(こんな感じ。はっきり読めない程度の解像度にしてあります)
それでじっくり読もうと思ったのだけれど、これが面映ゆくてとてもじっくり読むことができない。絶賛に近い書評である。
最後に「批評の“使徒”となった著者の告白」という評言があって、腰を抜かす。
使、使徒ですか?
富岡さんは、小林秀雄的な批評の転覆を図った『使徒的人間−−カール・バルト』(講談社)という代表作があって、キリスト教の理解も深い方である。そういう方の「使徒」という言葉遣いは、ほとんどそれ以上の形容を思いつくことができないという種類のものである。
そんなことを書いてくださっているとは知らずに、わたしは富岡さんと9月に入って一度お会いしていたのであるが、しかしそんなに褒めちゃっていいんですか?
やっぱりあれかな。いずれ批評を裏切るユダだって皮肉かな。
キリストを裏切ったユダだって使徒だったわけだから。
いや、もちろん冗談です(笑)。そうならないように努力します、別に自分を「使徒」だと思ってるわけじゃないんだけれども。
ありがたい書評でした。
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