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『吉本隆明』書評 [紹介記事]

産経新聞2014年10月19日朝刊に、拙著『吉本隆明』(アーツアンドクラフツ)の書評が出ました。

《文学やサブカルチャー、政治、宗教と、幅広い領域で評論を紡いだ吉本隆明10+ 件(1924~2012年)。長篇詩『固有時との対話』から最後の理論的著作『アフリカ的段階について』に至る仕事の全体像に、昭和49年生まれの文芸評論家が迫っている。……[全文は産経ニュースで]

戦争中に軍国主義者であったという自分を単純に否定せずに、敗戦後の詩からはじまる長い著述活動によって、太平洋アジア地域の人々を「同胞」と見なす思想に辿りついた吉本さんの思考の軌跡は、これからの時代にこそ広く知られる必要があると思います。ご紹介どうもありがとうございました。

タグ:吉本隆明
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いまさらですが…… [紹介記事]

今年の4月に刊行された、笙野頼子さんの『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』(河出書房新社)に出演しました!

《『群像』二月号で創作合評のページを開け読んでいく時の私ときたら、——。

それはもう大昔の生物学者が顕微鏡の中を除いて[引用者註。たぶん「覗いて」の誤植]、研究テーマの答えをそっくり見つけたのと同じような感動でした。》(「八百木千本様へ笙野頼子より——今までの感謝と、近況報告を兼ねた手紙」)

この「私」、文章の題名を信じるかぎり「笙野頼子」さんに「感動」をあたえた「群像」2006年2月号の創作合評に、わたしは出ていたのでした。

ほかのメンバーは、高井有一さんと玄月さん。そこでちょうどその前月に発表された笙野頼子「だいにっほん、おんたこめいわく史」(「群像」2006年1月号)が取りあげられて、三人であれこれ合評しました。それを読んだ「笙野頼子」さんが、それぞれの人にどんな「感動」をあたえられたのか書いていて、最後にわたしが出てきます。

《そして最後のひとりはおちょぼ口のニュー評論家田中和生氏。

——だからこの作品の場合は笙野さんの方向性としてはありなんじゃないかというふうに思うんですよ。

とか言った口で。

——おんたこが結局一番よくわからないですよね。

理解者みたいな口利いてスカタン抜かすなヴォケ、みなさんこれが今はやりのニュー評論家ですよ。女性文学と九十年代を見ない事にしてこそ仕事のある三猿。たまには風邪引けよ、それだけです。》

苦節十年。

ついに笙野さんの小説に出演することができました。

だってねえ、これまで笙野さんの小説に出てきた文芸評論家と言えば、柄谷行人とか吉本隆明ですよ。いずれも一時代を築いた人たちだ。いっとき論敵であった大塚英志さんなんか、だんだん名前が伏せられるようになっている。

そういうなかでの出演です。やりました!

これからも笙野さんの小説の素材となるべく、「ニュー評論家」として頑張りたいと思います(笑)。

絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男

絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男

  • 作者: 笙野 頼子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2006/04/21
  • メディア: 単行本


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「図書新聞」2006年10月7日号 [紹介記事]

9月25日の文章にコメントを書き込んでもらっているけれど、文芸評論家の勝又浩さんによる『新約太宰治』の書評が掲載されています。

「批評はもっともっと"創作"であってよいはずだ」という見出しで、僕の評論のやぶれかぶれの書き方を拾い上げてくださっています。

同時に作家論としての本来の言葉にもきちんと触れてくださっていて、非常に感激しました。


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西日本新聞2006年9月17日 [紹介記事]

出版社の担当編集者に掲載紙を送ってもらったのですが、西日本新聞の「本と批評」欄に佐藤洋二郎さんによる『新約太宰治』の書評が掲載されました。

見出しは、「破綻しているようで熱情」。

最後に(笑)とつけてみたいような、味わい深い見出しですな。

いや、ぼくの本の(笑)っぽい本質を衝いてもらったということで、深い意味はありません。


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富岡幸一郎さんの書評 [紹介記事]

共同通信によって地方紙に配信される書評で、富岡幸一郎さんが『新約太宰治』について書いてくださったという話をしばらく前に聞いていたのだけれど、いまさらながら現物を目にした。

早いところでは8月ぐらいから掲載されていたようであるが、わたしが手に入れたのは9月3日付けの長崎新聞である。三田文学編集部の後輩が、勤めている会社にあったというのをくれたのである。サンキュー。


(こんな感じ。はっきり読めない程度の解像度にしてあります)

それでじっくり読もうと思ったのだけれど、これが面映ゆくてとてもじっくり読むことができない。絶賛に近い書評である。

最後に「批評の“使徒”となった著者の告白」という評言があって、腰を抜かす。

使、使徒ですか?

富岡さんは、小林秀雄的な批評の転覆を図った『使徒的人間−−カール・バルト』(講談社)という代表作があって、キリスト教の理解も深い方である。そういう方の「使徒」という言葉遣いは、ほとんどそれ以上の形容を思いつくことができないという種類のものである。

そんなことを書いてくださっているとは知らずに、わたしは富岡さんと9月に入って一度お会いしていたのであるが、しかしそんなに褒めちゃっていいんですか?

やっぱりあれかな。いずれ批評を裏切るユダだって皮肉かな。

キリストを裏切ったユダだって使徒だったわけだから。

いや、もちろん冗談です(笑)。そうならないように努力します、別に自分を「使徒」だと思ってるわけじゃないんだけれども。

ありがたい書評でした。


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「週間読書人」2006年9月15日号 [紹介記事]

中村三春さんによる、『新約太宰治』の書評が掲載されています。


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