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これは盗作ではないーー北条裕子「美しい顔」について [生活と意見]


 2018年に群像新人文学賞を受賞した北条裕子の長篇「美しい顔」(「群像」6月号)は、作品が発表されたあとの6月末になって、主要な参考文献が明記されていなかったという問題についての謝罪が、群像編集部から発表された。それ以降、盗作や剽窃という言葉で作品が批判される事態になり、同作品に高い評価をあたえた論者も、それに加担したという意味で批判する人が出てきている。
 わたしは毎日新聞で担当している文芸時評(5月30日夕刊)で、冒頭でその作品を大きく取り上げ「新人賞受賞作であることを忘れ、気がつくと作品に強く引き込まれて、激しく感情を揺さぶられた。ついに二〇一一年に起きた東日本大震災を『表現』する作品が登場したと言っていい」と書き、非常に高く評価した(https://mainichi.jp/articles/20180530/dde/014/070/005000c)。参考文献未表示の問題について知った現在も、その評価については一言一句変えるつもりはない。
 けれども今回の問題を、盗作や剽窃と考える人たちのためには、もう少し丁寧な説明が必要だろう。なぜなら参考文献と類似した表現が出てくるという事態は、なによりこのすぐれた作品の根源にかかわっているからである。

          *

 群像編集部によれば、本来表示されるべきだった主な参考文献は、以下のとおりである(巻末の「告知」、「群像」8月号)。
 『遺体 震災、津波の果てに』石井光太(新潮社)
 『3・11 慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』金菱清編/東北学院大学 震災の記録プロジェクト(新曜社)
 『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』丹羽美之/藤田真文編(東京大学出版会)
 『ふたたび、ここから 東日本大震災・石巻の人たちの50日間』池上正樹(ポプラ社)
 「文藝春秋」二〇一一年八月臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(企画・取材・構成 森健/文藝春秋)
 もちろん作者はこれらの文献だけから作品を書いたわけではなく、それまで読んだり耳にしたりした言葉すべてを下敷きにしている。しかしそれらが明記されるということは、作者が信頼して読んだ文献だという意味であり、あるいは作品を書き終わったときに、それらなしでは作品が成立しなかったと作者が感じたということである。
 これらの参考文献と類似した表現が出てくるという事実だけを見て、作品を批判的に見ようとする人たちが知りたいのは、どうしてそのような表現が出てくるのかという理由だろう。だからとりあえず、作者側の時系列で考えてみる。
 この2011年に起きた東日本大震災後の被災地を舞台にした作品で、作者は「被災地に行ったことは一度もありません」(「受賞のことば」、「群像」6月号)と明言しているので、最初に位置するのは被災地を取材した参考文献を読んだという体験である。そして次に作品を書きはじめるという行為があるが、そこで生まれてきたのが津波に襲われた町で被災した、17歳の女子高校生の語り手である。
 その語り手の大きな特徴は、7歳になる弟「ヒロノリ」を連れて震災当日から行方不明になっている母親の行方を探しているが、情報も物資も救援も足りない避難場所へ取材にきたテレビの取材を受けてから「母親との再会を信じて待つ少女」という役を演じるようになっていることである。それは新聞やテレビといったマスメディアが欲望するわかりやすい被災者像であり、実際にそのおかげで避難場所の状況が改善したりもする。もちろん演じている語り手の「私」は、マスメディアを裏切って利用しているつもりだが、そのような「私」を造形したところで、被災者ではなく被災地に行ったこともない作者による表現は小説として生きはじめていると言っていい。
 作品全体の流れを説明すれば、そうしてマスメディアが欲望する役のなかに逃げ込み、いわば妄想の世界に生きるようになった「私」が、弟の「ヒロノリ」や母の友人といった登場人物との関係から、震災後の現実に直面しなければならなくなるというものである。その意味で「私」が直面する、震災後の現実にほとんどそのまま結びつく場面を取材している、石井光太の『遺体』は、参考文献のなかでも別格の位置にある。群像編集部からの発表で「大きな示唆を受けた」とあるのもそのせいだが、したがって作品の大きな山場となるその場面に類似の表現が出てくることと、それ以外の場所で類似の表現が見つかることの意味は、区別して考えなくてはならない。
 いわば参考文献と類似の表現が出てくるのは、そうして妄想の世界に生きるようになっている「私」が現実の世界を思い出さなくてはならない場面だが、その例として「私」が震災当日からテレビの取材が来るまでの出来事を回想している部分を見てみる。

《五日間、本当にどこからも救助はこなかった。一切の情報もなかった。他の地域のことも噂としてしか入ってこない。ラジオもこの地域のことは何も言わない。子どもがいつもどこかで空腹のために泣いている。便器には便が溜まっていく。バケツに用を足してもそれを流す水がない。校舎の屋上にSOSと書いたが反応はない。そろそろ一度も自宅に帰らずにいるのも限界と言って無理やり出ていく人がある。だけど遠くまで行けば胸まで泥水に浸かることになる。着替えはない。泥を落とす水もない。つまり行けばもう戻ってこられない。家も残っているのかはわからない。道は泥水で底が見えずマンホールのふたも空いているという。それでも自宅へ向かう人がいる。行った人の安否はわからない。誰かがこれは地獄だという。なぜ警察も自衛隊も助けに来てくれない。日本はどうなってしまったんだ。この地域の被害を外の人は誰も気づいていないのか。それとも日本列島は私たちのところを残してみんな海に沈んでしまったのか。空腹のあまりそんなことばかり考える。今日にでも救助がこなければもう限界だ。水も、毛布も、薬も、食べ物も、今日にでも運んでもらえなければもうおしまいだ。今日にでもこの低体温症で死にそうな老婆と、この人工透析をしている男性をヘリで病院へ運んでいってもらえなければおしまいだ。私たちは限界だった。
 そんなときだった。  この体育館に、東京のテレビ局の腕章をつけた人がカメラを持って現れたのだった。
 外部の人がはじめて入ってきた、これでようやく情報がもらえる。そう思って私たちは飛びついた。するとマイクをあてがわれたのは私たちのほうだった。》(「美しい顔」、「群像」6月号25〜26頁――太字は引用者)

 この部分は、金菱清編『3.11 慟哭の記録』(新曜社)に収められた、石巻市日和が丘の被災者による手記「石巻は火と水と寒さ」にある、次のような記述を下敷きにしている。

《一日目より二日目、さらに体育館へ避難する人が増えて、夜は眠るのに体を丸めて知らない人と体をくっつけて動くこともできず、時々大きな余震が来るたびに、あちこちから悲鳴が聞こえたり、子供が空腹のために泣いたり、早く夜が明けないかと時計ばかり見ていました。皆携帯電話がつながらず、外との連絡がとれない事で不安が増していました。なぜ警察も、自衛隊も助けに来てくれないのか、日本はどうなってしまったんだろうと思いました。
(……)
 四日目、やはりこの日も救援に来る人は誰もなく、どこかの人が好意で少ない食料を分けてくれるぐらいでした。私は二日目、三日目、バナナ一本ずつの食事でした。この頃トイレ事情が悪化して、水は流さないことにしていたのを、体育館には二千人以上、教室、校庭に車でいる人が使用するため、トイレの水を流さずにはいられなくなりました。そこで先生方の指示で生徒を中心に若い人達で、プールの水をバケツで汲み上げることにしました。
 この頃、体育館にいる人達の名簿を作成しました。体育館を出る時は次の避難先を告げて出て行くシステムでした。石巻は宮城で二番目に大きな町なのに、ラジオから聞こえてくるニュースは他の地区の被害ばかりで、私達の状況がこんなに大変なのに何の報道もされない事に憤りを感じていました。そんな所へ腕に新聞社の腕章を付けカメラを持った人が体育館に現れたのです。友人は写真を撮ることに怒っていましたが、私は、私達の状況を早くみんなに知らせて助けに来て欲しいと思いました。しかし少し時間が経つと今度は、私達には何の情報もないのに取材されて、私達にも情報を得る権利がある、そんなふうに思えてきて思わず記者に声を掛けたのです。》(「石巻は火と水と寒さ」、『慟哭の記憶』92〜93頁――太字は引用者)

 おそらくこの部分を書きながら、作者は語り手の「私」が生まれてきた場所の一つが、この手記であったことを意識していたはずである。なぜなら「私」はこの手記の「私」がしなかった、カメラの前でマスメディアが望む少女像を演じるという存在であり、その違いこそがこの作品をささえるものだからである。
 類似箇所を太字にしてみたが、編者や手記の著者が認めるかどうかという問題を別にして、参考文献として明示されていれば盗作や剽窃とは言えない。なぜならそれらの箇所は被災地について調べれば、事実として出て来ざるをえない言葉だからである。
 現在問題になっているのは、こうした類似箇所一つ一つが石井光太『遺体』における類似とおなじように、作者が参考文献に依拠しながらそれを隠蔽しようとしているかのように受けとられているせいだろう。そしてそれは巡りあわせとして、新人作家の作品だったということが大きく影響しているが、だからこそ群像編集部は「編集部の過失」を強調しているのである。
 順序が逆になってしまったが、もし『慟哭の記憶』や『メディアが震えた』、また『ふたたび、ここから』などが「美しい顔」の初出の時点で参考文献として記載されていれば、わたしもどのような文献からこの作品が生まれたのかを知りたくて手に取っただろう。

          *

 ではもう一度作者側の時系列に戻って参考文献との関係を考えてみると、妄想の世界に生きるようになった「私」を描きながら、作者はどのような文献を事実として参照したのかを確認するようにして、いわば「私」と現実の世界の距離を調整している。参考文献との類似表現は、そのような場所に出てくる。だからそれは、避難場所でテレビの取材を受けてから妄想の世界に生きるようになった「私」が、震災後の現実に直面するというこの作品にどうしても必要なものだし、また被災者ではなく被災地にも行ったことのないわたしのような読者が、震災後の現実に直面するとはどういうことかを実感するための手がかりにもなっている。
 そして「私」は作品の後半に入り、それまで避けつづけてきた母親の死という過酷な現実に直面する。初めて「私」が母親の遺体が見つかるかもしれない遺体安置所に足を踏み入れた場面は、こう記述されている。

《彼(警察官――引用者注)は私を体育館の外壁の前まで案内した。
「これがこの安置所に集められた遺体のリストです」
 と彼は言いたくないことを言うときの男子生徒みたいに言い、視界を覆う広さの張り紙を目で示した。それぞれのリストには番号がつけられていて、その横に名前、身長、体重、所持品、手術跡といったことが書いてある。今現在でわかっている限りの情報だという。
今日までに見つかっている遺体はこれがすべてです。お母さんと思われる特徴の番号があれば、みんなここに」
 彼は小さな紙切れと鉛筆を手渡した。
「あとで実際に目で見て確認していただきますから」
 壁の遺体リストに記載されている特徴にはかなりの違いがあった。すでに身元が特定され住所や勤め先の会社名まで記してある番号もあれば、〈性別不明〉〈所持品、衣服なし〉としか情報が載っていないものもある。〈年齢三十歳〜六十歳〉とものすごい幅のあるものもある。私には性別が不明になってしまっているということがどういうことなのか想像さえできなかったのに背中にすっと冷たいものが流れていった。》(「美しい顔」、「群像」6月号39頁――太字は引用者)

 これはすでに検証と指摘があるように、石井光太『遺体』の次の記述をなぞるようにして書かれている。

《警察官はうなずき、「こちらへどうぞ」と遺族たちを校舎の側へ案内する。壁にはここに集められた死亡者のリストが貼ってある。紙にそれぞれの遺体につけられた番号が記されており、その横に名前、性別、身長、体重、所持品、手術痕などわかっている限りの情報が書かれているのだ。警察官が安置所に運び込まれた遺体を一体ずつ丁寧に調べて明らかにした情報だった。
今日までに見つかっている遺体はこれがすべてです。ご家族と思われる特徴のある方がいれば何体でもいいので番号を控えて教えてください。実際に目で見て確認していただきます」
 家族たちが食い入るように見つめる。死亡者リストに記載されている特徴にはかなり違いがあった。すでに名前や住所まで明らかになっているものもあれば、波の勢いにもまれて傷んでしまっているために「年齢二十歳〜四十歳」「性別不明」「衣服なし」としか情報が載っていないものもある。家族たちは声を潜めて話し合い、それと思しき遺体につけられた番号をメモしていく。》(新潮文庫版『遺体』49〜50頁――太字は引用者)

 この場面につづいて「隙間なく敷かれたブルーシートには百体くらいはあるだろう遺体が整列していて私たちはその隙間を歩いた。すべてが大きなミノ虫みたいになってごろごろしているのだけれどすべてがピタッと静止して一列にきれいに並んでいる」や「大きなビニール袋をかかえてすれ違う警官からうっすらと潮と下水のまじった悪臭が流れてくる」という記述が「美しい顔」にあり、それが『遺体』の「床に敷かれたブルーシートには、二十体以上の遺体が蓑虫のように毛布にくるまれ一列に並んでいた」や「遺体からこぼれ落ちた砂が足元に散乱して、うっすらと潮と下水のまじった悪臭が漂う」という記述と重なることもあって、それらの部分だけをならべて見ると盗用に見えかねないことは事実である。ここでは明らかに文学的な表現を放棄したような、震災後の現実に取材した信頼できる文章をなぞるしかないという書き方が選ばれているからである。
 どうしてそのようなことが起きるのか。わたしはそれが、マスメディアが望む役割を演じつづけてきた語り手の「私」が作者に強いたものであり、いわば生き物としての小説という表現形式がもたらしたものだと思う。なぜなら「私」は、なによりマスメディアのように震災後の現実を自分たちに都合よく表現する者に対して憤っているからであり、それはここでその「私」を震災後の現実と対面させようとしている作者もまた例外ではないからである。
 つまり作者はマスメディアの震災報道の欺瞞を暴く「私」を、それまで生き生きと描いてきたがゆえに、ここでは震災後の現実を自分に都合よく表現することができない。仮に作者がこの場面を自分なりの表現にしてしまえば、その時点で語り手の「私」はリアリティを失い、作品は死ぬ。だからこれは、学生のレポートなどと同列に論じられる問題ではない。
 作者がここで突き当たっている表現上の問題は、日本の近代文学史上でもそれほど例がない、きわめて根源的で解決困難なものである。
 下敷きにした資料の言葉をなぞるしかない、という書き方になっているという意味で比較することができるのは、おそらく井伏鱒二が1966年に刊行した長篇『黒い雨』ぐらいである。それは1945年に広島に落とされた原子爆弾の被害を描いた作品だが、作者である井伏鱒二自身は被爆者ではなかったという点で、被災地を描いた「美しい顔」と被災者ではない作者の関係に重なる。
 たとえばそこに、原爆投下直後の様子を描く、次のような一節がある。

頭から流れる血が、顔から肩へ、背中へ、胸から腹へ伝わって、どす黒い血痕をつけている者は数知れぬ。まだ出血している者もあるが、どうする気力もないらしい
 両手をだらりと垂れて、人波に押されるまま、よろめきながら歩いている者。
 目を閉じたまま、人波に押されてふらふらしながら歩いている者。
 子供の手を引いていて、他人の子供だと気がついて「あッ」と叫び、手を振りはなして駈け去る女。「小母ちゃん、小母ちゃん」と、その後を追う子供。六七歳の男の子であった。
 我子の手を引いていて、人波に押されて手を放した親爺。これは子供の名を連呼しながら人の流れに分けこんで、突きのけた人から二つ三つ擲られた。  老人を背負った中年の男。病気らしい娘を背負った父親らしい男。》(井伏鱒二『黒い雨』――太字引用者)

 そしてこの場面は、のちに『重松日記』として刊行される、広島で被爆した重松静馬が記録した日記を参照している。こうした対応は、それ以外の箇所でも複数存在する。

頭から流れた血が、顔から肩へ、背中へ、胸から腹へ、どす黒い血痕。まだ出血しているらしいが、どうする気力もないらしい。両手をだらりと垂れて、人波に押されるままに歩いている。
 我が子の手を引いていると信じていたのは、近所の子供だったらしい。アッと叫び、子供の手を振り切って引き返す婦人。その後を追って、おばちゃん/\と、連呼してゆく六七歳の男児とが、人混みに消えていった。
 我が子の手を引いて居た父親らしい男が、人波に押されて手が放れたらしい。狂気して、人を押したり突きのけたりし乍ら子供の名を呼んで、横切らんとして突きのけた男に、続けて二三回殴られたのを見た。
 老人を背負った者、病人らしい年頃の娘を背負った者もいる。》(重松静馬『重松日記』――太字引用者)

 太字の類似箇所の分量を見ればわかるように、ここで井伏鱒二は、原爆投下後の広島を表現することをほとんど放棄している。どうしてそのような書き方になるのかと言えば、それは井伏鱒二が原爆投下という事実は表現できない、あるいは表現すべきではないと考えていたからである。
 表現できないということは、言い換えれば別のものに置き換えられないということであり、だからこのような『黒い雨』の書き方は「原爆投下は戦争を早く終わらせるために必要だった」という言い方や「原爆という兵器は世界から戦争をなくすことができる」という思想と鋭く対立する。
 これは文学の側から見れば、言葉が現実に敗北しているということだが、作者がその敗北を受け入れてまで言葉を書きつけたことによって、原爆投下という事実は表現すべきではないという意味をもつ表現がそこに成立する。もちろんこれは名文家であった井伏鱒二が、故郷である広島に落とされた原爆に抗議するために、ぎりぎりのところで選んだ表現のあり方である。
 こうした表現上の問題と比較したとき、石井光太『遺体』を下敷きにした「美しい顔」の場面は、表現すべきではないものを表現しているという書き方になっていることがわかる。そしてそのような書き方による場面を経て、ようやく語り手の「私」は震災後の現実を理解する。作者がどこまで意識的だったのかはわからないが、だから震災後の現実を自分に都合よく表現しない、文学的表現を放棄したその場面なしには、被災者である「私」が過酷な現実と向き合うというこの作品は成立しない。言い換えれば作者は文学的表現を放棄することで、マスメディアが望む幻想の世界から現実の世界へと出た「私」を生かしている。
 参考文献と類似した表現が出てくるのは、こうして「私」の造形がもたらす必然性があるのであり、そこに首尾一貫しているものがあるからこそ、過酷な現実を引きうけなければならない「私」の言葉に強い説得力が宿っているのだとわたしは思う。

          *

 ではこうして成立した作品は、どのように発表されればよかったのか。
 もし作者が新人作家でなければ、編集者や出版社を通じて参考文献の著者や編者に確認や許可を求め、同意が得られれば参考文献として明示し、そのまま発表されただろう。またもし同意が得られなければ、その時点で下敷きにしたことが明らかな部分は書き換えられなければならないが、その場合は「私」が直面する震災後の現実はいささか迫力を失ったかもしれない。
 けれども今回は新人賞に応募された新人の作品だったせいで、そうした書き方になっているという事実も参考文献が明示されるべきだったということも、文学賞の候補作になるほど高い評価があたえられてから明らかになったことが、非常に不幸な巡り合わせだった。あとから参考文献に名前が挙げられた著者や編者にしてみれば、自分たちの文献による貢献を隠したまま不当に評価があたえられたように感じられたかもしれないし、そもそも小説の参考文献としてあつかわれることを許可しなかったかもしれないからである。その点では群像編集部が表明しているように、それらの著者や編者たちと「誠意をもって協議」していくしかないだろう。
 最後に被災者ではなく、被災地に行ったこともない作者が、被災地を舞台にして被災者を描いたということに対する批判について、一言つけ加えておきたい。
 たしかに被災者や被災地について書くのは、被災者や被災地に行った人がふさわしいという考え方は、事実を語ろうとする作品では当然のことである。しかしフィクションである小説の場合、かならずしもそうではない。
 たとえば戦争に行ったことのある人しか戦争について書けないということになれば、小説で描かれる戦争はほとんど意味を失ってしまう。実際、一九四五年の敗戦から七十年以上戦争をしていないことになっている戦後日本では、戦争についての表現自体が現在ほとんど成立しないことになるが、それでは戦争について考えることもできないし、非常に困ったことになるだろう。しかし本来小説は、作者が経験していないものや現実に存在していないものにさえ近づける表現形式であり、それは被災者や被災地の場合でも同様ではないだろうか。
 なぜならこの作品が画期的だったのは、新聞やテレビといったマスメディアの前で被災者や被災地を見ていただけの、少なくない数の日本人がそうだったような被災者ではなく被災地に行ったこともない人たちの感覚を、マスメディアが望む役割を演じる「私」という語り手によって被災者と被災地に結びつけたことだからである。おそらくそれは被災者ではなく被災地に行ったこともない作者だからこそできたことだが、その意味で「美しい顔」における被災者と被災地をめぐる表現は被災者や被災地に行ったことのある人だけではなく、被災者ではなく被災地に行ったこともない人たちのためのものでもあろうとしている。
 もちろんそれは、被災者と被災地のために震災後の現実に取材した誠実な文献があって初めて可能だったが、だからこそ「美しい顔」の表現が参考文献と無縁なものになることが解決なのではない。小説として「美しい顔」が読まれることによって、さらにそこに収まらない切実な事実がいくつも記録された参考文献も、それを手に取ったことのない読者に読まれることになり、被災者と被災者ではない人たちのあいだにある壁が少しずつ崩されていくことが重要である。そしてそれは震災後の現実を描いたノンフィクションも小説もそれぞれ別の方法で立ち向かっている、震災を経験した21世紀の日本にとってもっとも切実な課題ではないだろうか。
 結論をくり返そう。これは盗作ではない。傑作である。
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川上未映子さんの作品について [生活と意見]

一読者の指摘にはじまり、この数ヶ月にわたって津原泰水さんの公式ホームページ「aquapolis」の掲示板を主な舞台に議論が展開された、川上未映子さんの尾崎翠についてのコラム「尾崎翠 第九官界彷徨」における角秋勝治さんの「第七官界彷徨ー尾崎翠を探して」映画評からの盗作疑惑、および小説「わたくし率 イン 歯ー、または世界」における津原泰水さんの小説「黄昏抜歯」からのアイデア盗用疑惑ですが、アイデア盗用の被害者である津原さんが、状況証拠として第三者の固有名を含むかたちで川上未映子さんが津原さんのご著書『綺譚集』を読んでおられることを示唆する記事「宣告はつらい」を書かれました。

《これをユリイカ山本充は僕の目の前で、川上未映子に読むように勧めている。ましてや川上未映子はその前後に位置する『ペニス』と『ブラバン』を、おおやけに称賛している。「『綺譚集』だけ知りませんでした」は通らない。》(http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t8/315

それを受けて、文芸評論家として表明しておくべきことを表明しておきたいと思います。

まずコラムにおける盗作疑惑ですが、

・川上未映子さんが「月刊songs」に掲載したコラムを加筆修正して2005年3月の日付で川上さんの公式ブログ「純粋非性批判」に転載したもの
http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post.html

と、

・角秋勝治さんが2001年5月13日付「日本海新聞」に掲載した映画評をホームページ「尾崎翠フォーラム」に転載したもの
http://www.osaki-midori.gr.jp/_borders2/EIGA/3-EIGA/3-EIGA/HYORON.htm

を比較すればわかるように、川上さんは尾崎翠の小説「第七官界彷徨」の物語内容について誤った記述をしており、その記述が映画「第七官界彷徨ー尾崎翠を探して」内でアレンジされた小説「第七官界彷徨」について角秋さんが映画評で紹介されているものに語彙も内容も酷似しています。

これは明白な盗作であると同時に、尾崎翠の小説「第七官界彷徨」を読まずにそれを紹介している文章であり、わたしはこのような文章を原稿料が発生するものとして書いている書き手を文学者と見なす文学観をもっていません。ただし、この文章は川上さんが詩や小説を発表される以前のものであり、それ以降の文章がそのように書かれていない、盗用コラムは現在の川上さんとは別人のものである、と過去の文章についての謝罪あるいは釈明がなされれば、現在の川上さんにその文学観を適用することを覆すのに吝かではありません。

次に小説におけるアイデア盗用疑惑ですが、

・川上未映子さんが2007年に「早稲田文学」0号に発表されて、現在は講談社文庫に入っているもの

と、

・津原泰水さんが2002年に「小説現代」に発表されて改題の上2004年に刊行された短篇集『綺譚集』に収録され、現在は創元原推理文庫に入っているもの

の詳しい比較は津原さんご自身の承認を得ているものが、
http://wave.ap.teacup.com/radiodepart/
で読むことができます。

思考が脳ではなく歯に宿るという奇想だけでなく、物語展開としての構造も似てしまうというのは偶然とは言い難く、これでは川上さんが津原さんの作品からアイデアを盗用していると見なされても仕方ありません。今回の津原さんの告発文は、そのことを裏書きするものです。

本来これは作品内で語り手が津原さんの短篇に言及していたり、作品外で作者がオマージュやパロディであると公言していたりすれば、出来不出来は別にして創作としてまったく問題ないものです。けれども発表から津原さんの公式ホームページの掲示板における騒動をへて現在にいたるまで、作者である川上さんからはそのような表明はなく、したがってそれは川上さんがアイデア盗用をする書き手であることを示す作品でありつづけています。

わたしが以上の事実を知ったのは、2010年9月に刊行された尾崎翠の映画台本を原案とする津原さんの小説『琉璃玉の耳輪』を読んでその公式ホームページを訪れてからであり、よってそれまでアイデア盗用の可能性のあるものとしてその作品を読んだことはありません。わたしは過去に2度、共同通信の配信記事として担当していた文芸時評「文学の羅針盤」で川上さんの作品を取りあげています。ここにその該当部分を採録しておきます。

《二〇〇七年度の上半期と下半期の芥川賞受賞者がそれぞれ受賞後第一作を発表している。上半期の諏訪哲史は長編「りすん」(「群像」三月号)、下半期の川上未映子は短編「あなたたちの恋愛は瀕死」(「文學界」三月号)。
 残念ながら諏訪哲史「りすん」は、内容としては言葉に対する自意識という、この二十年でオーソドックスになった主題をうまく作品化した芥川賞受賞作『アサッテの人』の自己模倣に陥り、書き方としてはリアリズムの言葉の限界を意識しない、非リアリズム的な言葉のたれ流しで登場人物を作者の奴隷にしている。言葉に対する自意識がどこまでいっても作者自身のものから出ないので、どんな奔放な言葉も平板に響くのだ。
 一方の川上未映子「あなたたちー」は、女性としての自意識を追求する言葉という点ではこれまでの作品の延長線上にあるが、その自意識が相対化される男性の視点が新しく導き入れられているところが面白い。結果として、恋愛に憧れながらも踏み込めない自意識過剰な女性が、勇気を出して声をかけた男性に殴り倒されるというドタバタ喜劇に仕上がっている。ここでは自意識の暴走にまかせるような非リアリズム的な言葉の限界がよく意識されている。》(「文学の羅針盤」2008年2月)

《川上未映子の力作「ヘヴン」(「群像」8月号)もまた、物語の力を感じさせる長編だと言える。語り手は中学2年の「僕」で、ひたすら過酷ないじめに耐える日々が描かれる。主要な登場人物はおなじ教室で女子からのいじめを受ける「コジマ」だけで、クラスメートの目を盗んでやりとりする手紙と、たまに一緒に出かけて交わす言葉が作品を覆う「交通」のほぼすべてである。読者はそのいじめの日々の出口を求めるようにして読み進めることになる。
 作者はこれまでの言葉が言葉を呼ぶような書き方を止め、難解な言葉を使わずひらがなを多用し、できるかぎり「わかりやすい」言葉で書くことを目指している。その意図はいい。だがそれはあらかじめある小説の型をなぞり、結末の内容に作品の価値を委ねる消費物としての物語を書く結果になっている。物語の鍵となる「僕」の母や「コジマ」の父といった人物まで作者のあやつり人形に見え、結末を知っての再読、三読には堪えられない。辻原のように言葉の冒険の向こうに物語の力を見出すやり方もあるのではないか。》(「文学の羅針盤」2009年7月)

取りあげたのはその時点でそれに値すると感じたからですが、もしそのときすでに行われていた川上さんのコラムにおける盗作と小説におけるアイデア盗用を知っていたら、わたしはこうして取りあげることはしなかったでしょう。なぜならアイデア盗用をする書き手によるアイデア盗用の可能性のある作品を、その月における注目すべき作品として推薦する文学観をわたしがもっていないからです。

わたしは2010年4月から毎日新聞で文芸時評を担当していますが、さしあたりの措置として今後発表される川上未映子さんの作品について、以上に述べたわたしの文学観に照らして川上さんから適切な表明がなされないかぎり、時評の対象としないことをここに宣言します。

この宣言自体には弾劾の意図はありません。

わたしは別に、川上さんの文学観とわたしの文学観が一致することを求めているのではありません。わたしはわたしの文学観にしたがって文芸時評を書いており、時評の役割はよりすぐれた作品を生み出すためのものだと考えています。もちろん川上さんの作品がアイデア盗用をしていないものであり、かつすぐれたものであるとすれば時評でぜひ取りあげたいと思っています。

けれども現状では、アイデア盗用の可能性のある作品とそうでない作品の区別がつけられません。これまで「わたくし率 イン 歯ー、または世界」が掲載された伝統ある「早稲田文学」を含め、文芸誌にはアイデア盗用の可能性のある作品が積極的に掲載されることはないと考えてきましたが、どうやら状況はそうでもなくなりつつあるようです。

したがってわたしが川上さんの作品を時評の対象とするためには、アイデア盗用の可能性のある作品を読んでそこにアイデア盗用があるかないかを検証し、ないという意味でわたしの文学観に適うものであることを確認しなくてはなりません。残念ながらこの作業は、毎月ぎりぎりの日程で対象作品を読んでいるわたしの能力を越えています。

今回の盗作や盗用についてわたしとは異なった文学観をもたれている方には申し訳ありませんが、そういう事情で川上さんの作品を時評の対象から外さざるをえません。文芸誌に掲載されたすべての作品が文芸時評の対象であると考えておられる読者のために記しておきます。

くり返しますがこれは暫定的な措置であり、今後発表される作品でアイデア盗用の可能性がないということが明白になればすぐに撤回いたします。

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津原泰水さんから市川真人さんへの公開メッセージ [生活と意見]


 放置されたままのブログですが、放置しておけない問題に関して重要なメッセージが発信されたので、転記させていただきます。発信された場所は、小説家である津原泰水さんの公式ホームページ「aquapolice」の掲示板で、記事のアドレスは、http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1181です。
 以下はわたしの文章ではなく、津原泰水さんから市川真人さんへの公開メッセージです。

 ***

 早稲田文学に関しましては、もし市川氏に御釈明の勇気あらば、第三者立合いのもとでの面会にやぶさかではない、とここに公言致します。
 氏からは、かつてお名刺を賜っておりますが、こういう呼掛けは、決して密室でおこなわれるべきではないと僕は考えます。我々がそんな真似をすれば、読者の文学不信の炎に油をそそぐようなものです。

 津原泰水が何者かによる恒常的、病的、犯罪的なネガティヴ・キャンペーンに晒され続け、そうして利を得る(と誤解しうる)存在が、論理的に導き出されるとはいえ、本来の対立軸は「川上未映子 vs 読者」です。僕や盗作盗用の発見者たちは、言論統制めいた黒い動きに巻き込まれた、文学愛好者に過ぎないのです。
 常々、この点を勘違いしないよう僕は気をつけております。むろん市川さんには最初から重々お分かりのことでしょう。
 これは巻き込まれた被害者から、その原因となった事象の運営責任者へのメッセージです。

 面会の際の話題は、一点ないし二点に絞り込みます。
・「黄昏抜歯」と「わたくし率~」の奇想の酷似に対して、いかなる御見解をお持ちか。
・もし似ていないと御結論なさるなら、あらゆる世人の目に明らかな、ここ数か月におよぶ、恒常的、病的、犯罪的なネガティヴ・キャンペーンは、津原泰水/津原やすみの不徳の致すところであるとお考えか。具体的にそれは何か。

 市川さんがこのBBSを読まれていること、僕はじつは知っております。
 よって本稿の黙殺は、逃走と目するものです。
 お返事はメールや電話でも構いませんが、世の文学愛好者と早稲田大学の学生のため、一部を公開する可能性をお含みください。あらかじめ許諾は求めます。

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ネイティブ富山弁アニメ [生活と意見]

たいへんめずらしい、ネイティブ富山弁アニメを見つけた。

それは富山県の黒部市にある(らしい。行ったことないけど、行ってみたい)グリーンカフェというお店の、ホームページのなかにあるのだが、富山に住む無骨な兄弟が、しゃれたグリーンカフェに入るに入れない、という状況を描いたドタバタコメディの連作である。

http://www.kurobe.net/greencafe/

お店の宣伝を兼ねているのだが、密かにおかしい。

しかしこのスピードの富山弁、富山に住んだことのある人以外にはわからないんじゃないだろうか。

ちなみに富山を舞台にしていることで知られる宮本輝『螢川』の富山弁は、あれはネイティブじゃないね。ネイティブの富山弁は、闇のなかに無数の蛍が乱舞するというような美しい情景とは無縁だ。たしかに郷土の言葉をもちいることで、非日常という雰囲気が出るのかもしれないけれど、それは道具としての富山弁で、富山弁そのものではない。

方言だからといって、言葉を道具にしちゃいけないよな。

標準語というのも国を単位にしたローカルな考え方で、見方によっては日本語は日本という地方で使われている方言にすぎないわけだから、標準語と方言のあいだで上下のヒエラルキーがあるわけではない。それを解する人々の母集団の大きさが異なるだけで、言語としては完全に対等である。

ある言語が魅力的なのは、その言語によって魅力的なものがたくさんつくられている場合である。

富山弁による表現が、たくさん出てくると面白いだろうなあ。


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喜多八膝栗毛に行ってきた [生活と意見]

落語家の柳家喜多八さん(http://www2.odn.ne.jp/~caf75600/)が、高座三十周年を記念して三夜連続の独演会「喜多八膝栗毛」を博品館劇場でやるというので、その初日に行ってきた。

ぼくは大学生になってから寄席に行くようになったのだけれど、喜多八さんの落語は、そのころからの大ファンである。

古典をあれだけ面白く聞かせてくれる人はいないし、芸人魂を感じさせてくれるいまどきめずらしい噺家である。

初日のゲストは春風亭小朝で、二日目は立川志の輔、最終日は柳家小三治という豪華な企画である。

喜多八さんは廓話の「五人廻し」と、新作の「籠釣瓶花街酔醒[かごつるべさとのえいざめ]」の第一夜分をやった。久しぶりの落語を堪能する。

パンフレットにあった本田久作という方の文章もおもしろかったし、ひどい雨ではあったけれど、よい晩でした。


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「ばんそうこう」をなんと呼ぶ? [生活と意見]

ヤフーのヘッドラインに出てたから、見た人が多いかもしれないけれど、「ばんそうこう」にも方言があるそうである。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060920ddm013100156000c.html
(MSN毎日インタラクティブの記事。しばらくしたらリンクが切れるでしょう)

まあそれだけなら「へえ」という程度の話なのだが、記事にある分布地図を見ていていささかショックなことがあった。なぜならその呼び名を聞けばどんぴしゃりで出身県を当てられるというところがたったひとつだけあって、それがぼくの生まれ育った富山なのだ。

なんでそんなことになっているのだろう?

富山県では、「ばんそうこう」を「キズバン」と呼ぶ。

たしかにそうだ。「キズバン」と口にすると、身体の奥底で眠っていた言葉がむくむくと動き出す感じがする。そう言っていましたよ、むかし。「キズバンちょうだい」って。

ぼくはもう東京に来て十年以上になるから、いまは「バンドエイド」という関東風の呼び方をしている。きっといつかどこかで入れ替わったものだろう。

でも、言葉というのはデジタルな情報のように、上書きされたら消えるという種類のものではない。だから「キズバン」という言葉もぼくのなかにちゃんと残っていて、その周囲には富山での十八年間の記憶がまつわりついている。

キズバン。キズバン。

頭のなかでくり返していると、なにか大事なことが思い出せそうな気がする。

もう失われてしまった大切ななにか。

思い出せないなあ。

そんなもの、なかったのかもしれない。

「もう失われてしまった大切ななにか」というのは、こうしていつも思い出せないということによって「もう失われてしまった大切ななにか」なのである。

たぶん本当に思い出してしまったら、あまりにつまらないことなのでショックを受けるからだろう。

よく言われることだが、人間にとって忘却というのは恩寵だ。

なぜなら、人間というのは忘れたいことを忘れておいて、それが大事なことだった気がするなどといって、あたかも自分の人生には大事なことがあったかのように錯覚して生きる、幸福な生き物である。

ぼくの記憶もあちこちに穴が空いて、かわりに「もう失われてしまった大切ななにか」が埋まっているが、そんなに思い出したくないひどいことばかりだったのだろうか。たとえば酒の席のこととか富山での十八年間とかね。

いかんな。田舎の話は感傷的になるか、それを避けようとするとシニカルになる。

とにかく、記事を見なければもう一生思い出すこともなかったかもしれない「キズバン」という言葉を思い出すことができて、ぼくは少し嬉しかったわけです。

やっぱり感傷的だな。寝よう。


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「それはホエーです」 [生活と意見]

うちは朝かならずプレーンヨーグルトを食べる。

いろいろなプレーンヨーグルトを買ってみたが、前から気になっているのはコープ(生協)のものである。

ふたをあけると「表面の水分はホエー(清乳)です」という言葉が目に飛び込んでくる。

ホエーですよ、ホエー。

「ホエー」と間抜けな音を頭のなかに響かせながら、その文字が書かれている内ぶたの下の方に目をやると、少し小さな文字で、

《ヨーグルトの表面に水分が出ることがありますが、これはホエー(清乳)と呼ばれる乳成分の一部です。品質に問題はありませんので、そのままお召し上がりください。
砂糖の添付はしておりません。》

と書いてある。そうですか。

やっぱり「ヨーグルトの表面に浮いてくるあの水みたいのはなんですか」と聞いてくるやつがよくいるんだろうか。たしかにあれはなんだろうと気になると言えば気になる。

しかしこういう「ホエー」表記があるのは、いまのところ僕が目にしたかぎりではコープのものだけである。だからそれほど聞いてくる人が多いとは思えない。じっさい僕は、それを知らないで三十年ほど生きてきて、なんの問題もなかった。

次に考えてしまうのは、「あれはなんですか」と聞いて「それはホエーです」と答えが返ってきたところで、人は納得するものなのだろうか、ということである。

少なくとも、僕には「ホエー」は「よくわからないもの」である。「清乳」でもまだよくわからない。

「よくわからない」ものについて聞いて「よくわからない」答えが返ってくる。毎朝プレーンヨーグルトのふたを開けると、そこで起きているのはそういう不条理な問答である。

それが問答無用で目に飛び込んでくる。

最後に「ホエー」の話題から、やや唐突に「砂糖」の話になるのもひっかかる。潔い断言なのだけれど、全体として潔い言い方でなにかをごまかしているようにも見える。

無理矢理話をまとめたというか。

今度、それを知らない人に無理矢理「それはホエーです」と教えてあげようと思う。


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複製技術時代の本 [生活と意見]


文化学院の学生から送ってもらった写真。

三島と太宰と安吾の特集で、太宰治では僕の本がピックアップされている。浜松町の駅ビルにある『ブックストア・談』だそうです。ありがたいねえ。

ちゃんと本屋で売ってるんだなあ、僕の本。

三冊目の本であるが、いまだに自分の本が売られている、ということのリアリティがない。

自分の書いた文章のコピーに値段がついて、存在しているということの意味がよくわからないのである。

これは未開人の感覚だな。

有名な話だと思うけれど、人類学者がある未開の集落を調査に行った。そうすると未開人の方も人類学者に興味をもつから、彼はいろいろと未開人にもちものを見せて一生懸命(ヨーロッパローカルの)近代文明のすばらしさを説明した。まあでもそれは、テレビ番組とテレビとビデオデッキの便利さを同時にわからせるようなものだから、ぜんぜん説明は通じず、感心もしてもらえなかった。ところがその人類学者がたまたまおなじ本を二冊もっていて、それを目にした未開人がはじめて驚いた表情を見せた。

ヨーロッパの学者さんにとって、そんなものはめずらしくもないし、なんでそんなに驚かれるのかもわからなかった。

しかし未開人の意見では、まったくおなじものがこの世に二つ以上存在することの必然性が理解できないという。そのときの様子は、文明に感心するというより、まるで悪魔の所行を見るかのようだった、というお話。

正確な出典を忘れてしまったので、脚色とか誤解があるかもしれないけれど、とにかく僕は好きだなあ、この感覚。

たとえば太陽が二つあったりね、自分がふたり以上いたりしたら困るわけでしょ。

もちろん人を困らせるようなことをたくらむのは、悪魔とかその手先とか、そういう悪い人たちである。だからまったくおなじ本をいくつもつくってしまう近代文明も、未開人にとっては悪魔の所行だということになる。おそらく二冊のおなじ本の存在に驚いた未開人は、近代文明の本質を一瞬で見抜いたのである。

それは、「オレのために世界をひとつ寄こせ」ということである。

近代文明というのはそういう主張をする人たちのためのもので、そういう欲望をもつ人たちによって成り立っているのである。

未開人の感覚では、世界はみんなのものだから、みんなのためのものが一つずつあればぜんぜん問題はない。まったくおなじものが二つある方がおかしい。

ところが近代文明では、みんな「オレのために世界をひとつ寄こせ」と言っている。だからおなじもののコピーがたくさん必要なのである。

そうやって僕たちは、文庫本で小説を手に入れ、CDで音楽を保持し、DVDで映画を管理して、世界をひとつ所有した気になっている。現代社会で演劇や話芸や絵画がだんだん廃れていくように見えるのは、その本質がコピーに向かないからだろう。

そう言えば、ファンタジーの世界で「オレに世界を寄こせ」と主張するのはみんな悪いやつばっかりだ。ロールプレイングゲームなんて、そういう悪い奴を倒しに行く話だらけだ。なんのことはない、あれはゲームをプレイしている自分のことなのだ。

すると近代文明は、やはり悪魔とかその手先の集団ということになる。まあそういうところに生きているわけです、僕たちは。

それで未開人の感覚を残している僕としては、たびたびコピーの存在意義がわからなくなって、自分の本を買ってみて確かめてみたくなる。本当に買えるということになると、少なくとも売られていることになにか意味があるということだけはわかるから。

実を言うと、最初の本は二度ほど自分で買ってみたことがある。ちゃんと買えたよ。

しかし自分で書いた文章のコピーを自分で買っている僕の姿は、未開人の目にはなにをしているところに見えるのだろう?


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読書会で『ユリシーズ』 [生活と意見]

久しぶりに、文化学院の学生が月に一度開いている読書会に参加した。

なんともう三十回目。足かけ四年になるはずである。

いちおう僕は創設時からのメンバーなのだが、いろいろと雑事にとりまぎれてとくに今年はあまり出られなかった。

ええ、歳をとると止むに止まれぬしがらみが増えてくるのですよ。

今回は二日前にYくんから連絡をもらって、ジョイスの『ユリシーズ』を取りあげると知った。

絶対に二日じゃ読み切れないよ!

学生時代に眺めてばかりいた記憶があるだけで、それから一度も精読していない自分が悪いのだが、とにかくその日は都合がつけられる日だったので、なんとか体裁をつくろって参加。

メンバーはYくんとMちゃんとOさんと僕の四人。

みんな今年の夏いっぱいかけてジョイスにつきあったらしい。

よいことである。

つきあいにくい人でも、グループのなかには居場所があったりするものである。

ジョイスさんは一見たいへん気むずかしくて、一対一ではとっつきにくいのであるが、誘い出してみんなで一緒に遊びに行ってみると、実はけっこうにこにこしている人である。

それぞれにこっそり微笑みかけてくれる。

その印象を語りあったわけである。

読書会後はもちろん飲み会。オダギリジョーの現状と今後について、親身な議論が展開された。


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モルモン教原理主義 [生活と意見]

TBSラジオ「ストリーム!」をPodcastというので聞く(http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/)。

Podcastで聞けるのはその番組の「コラムの花道」というコーナーだが、毎週火曜はカリフォルニア州オークランド在住の映画評論家、町山智浩さんが出る。それがめっぽう面白いのである。

いささか過激な言い方をすると、21世紀の世界ではアメリカでも日本でもマスメディアの多くが大本営発表の傾向を強めているので、だから日本にいて入ってくるアメリカの情報というのは二重に検閲を受けている。アメリカの権力にとって都合のいい部分だけが、アメリカと軍事同盟を結んでいる日本の現状を波立たせないようにして入ってくるわけだ。

そんななか、1997年からアメリカに住んでいる町山さんは、そこから生きたアメリカの姿を届けてくれている。

今回はモルモン教原理主義者のお話。

アメリカ合衆国で19世紀前半に生まれたモルモン教は、もともと一夫多妻制だったのだけれど、19世紀末にそれを止めた。ところがそれがいやだといって原理主義化したモルモン教徒がいて、21世紀のいまでも地下組織的に一夫多妻制をつづけているそうだ。もちろんいやがったのは男の人たちで、だから男性に都合のよいコミュニティがあちこちにあることになる。

その手口がすごい。

モルモン教原理主義者の家で育てられた娘たちは、12歳かそこらで無理矢理結婚させられる。たくさん妻のいるおじさんとかに。まだ自我にもちゃんと目覚めないような年齢であるが、モルモン教原理主義者のもとでは女性たちはテレビも新聞も本も見ることができない。男性による完全な情報統制で、だから人権という考え方も知らないし、男女平等という発想もない。もちろん男女のあいだに恋愛というものがあることも知らない。

女性は完全に男性のもちもので、最近その大きなコミュニティの一つのリーダーが捕まったという。彼は父親から妻を相続していたんだそうな。

罪状はレイプとか人権侵害になるんだろうな。

あるいは、こういうのはアメリカにおけるキリスト教の原理主義化と平仄をあわせているのかもしれない。ネットをうろうろしていたら、ブッシュが大統領になる20世紀末からモルモン教にそういう動きがあったという記述も見つかった。

おのれの庇護を必要とする女性たちが何人もいることで、だれよりも強いという男性としての幻想を保つことができる。モルモン教原理主義者のやり口は、マッチョの国としてのアメリカの暗部を象徴している。

当然のことながら、現在では一夫多妻を維持するためにはモルモン教原理主義者の娘だけでは足りない。なのでモルモン教原理主義者はふつうの家庭に押し入って、若い娘に銃をつきつけて妻になることを迫り、拒否されると撃ち殺すという事件を起こしている。

自分たちとは違うやり方をしている人々のなかに入っていって、「おのれの庇護を必要とする女性」になるか、撃ち殺されるかの選択を迫る。つまり「おのれの庇護を必要とする」というあり方以外は認めない。

これってイラクに対するブッシュ政権の手口とおなじじゃないか。

そうするとアメリカの「庇護を必要とする」ところから出発している敗戦後の日本は、男性によって情報統制されて真実を教えてもらえないモルモン教原理主義者の女性みたいなものだってことか?

なんでアメリカ産牛肉の輸入は再開されちまったんだ?

まああいい。

それにしてもアメリカという国は広い。


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