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ボーヴォワール『第二の性』穽読(3) [「穽読」シリーズ]

わたしもまあネタで読んでいるわけではなくて、ちゃんと内容をよく理解しなければならないのだが、どうしても落とし穴があると落っこちてしまう。病気だな。

穴があったらことごとく入ってみたい、という男によくある病気(笑)。

では序盤の方から。

《露出症という悪徳が世間に広まっているため、多くの女の子は勃起したペニスを見ている。》(第1巻、68頁)

なんかね、こういうところを必要以上に噛みしめちゃうわけですよ。

『第二の性』の出版は1949年のフランスだから、おお、半世紀前のフランスにも露出狂というやつはいたのか、とか、そういうものを「多くの女の子」が見ていたのか、とか思っちゃう。

わたしが読んでいるのは、新潮文庫の古いもので、全5巻である。訳者である生島遼一が、もともとの『第二の性』の前半と後半を入れ換えて訳しているので、1〜3巻と4・5巻の部分は順序が逆になっている。4、5、1、2、3と読むと本来の読み方になるが、だからこれは中盤の話である。

先に進めないで、いろいろ考える。

半世紀前のフランスでは、「多くの女の子」が出会うほどうじゃうじゃ露出狂がいたんだろうか。第二次大戦が終わったばかりだし、男はみんなはしゃいでいたんだろうか。

たぶんね、「多くの女の子」という言い方はかなり強引なのだ。ちなみにつづきは、

《ともかくも、女の子たちは動物の性器を見ており、そのうえ遺憾なことには、じつにしばしば、馬のそれが彼女たちの眼をひく。彼女たちがそれに恐怖をいだくのは想像できることである。》

となっていて、そこから女性がどんなに男性器というものに恐怖をあたえられているか、という論理展開が導かれる。

これはフロイトの、女の子は(みんな)男の子の性器を見てそれに羨望をおぼえるという、フェミニストに評判の悪いあのお話をひっくり返そうとしたものだろう。

露出狂のものか、さもなくば馬のものを見ているので、女性は(みんな)男性器を恐怖する。

うん、ちょっと無理があるな。フロイトのペニス羨望説に無理がある程度には。


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ボーヴォワール『第二の性』穽読(2) [「穽読」シリーズ]

『第二の性』はフェミニズムの古典であるが、まずは軽く、フェミニズム的な興味から読む人がぜったいに注目しなそうなところを引用してみる。

《貴重な品や象徴を愛する気持に限度のない女は、自分自身の姿を忘れてとんでもない衣装をきてしまうことがある。だから、ごくちいさい小娘は、化粧というと、妖精や女王や花に変身することだと思っている。花飾りかリボンをつけると、すぐもう美しくなった気がする。自分がそのすばらしい装飾と一体化してしまうのだから。無邪気な若い娘は布地の色合にうっとりすると、もう自分の顔の色艶のわるさなどとんちゃくしない。こういう大胆な悪趣味は、大人の芸術家や知識人にも見られることで、彼らは外の世界に恍惚となったあまり自分の顔は気にとめないのである。古代織とか昔の宝石とかにすっかり惚れこんで、支那とか中世とかのイメージを心にえがくのに夢中だ。そして鏡にはちらと一瞥をあたえるか、一人合点で見ておくにすぎない。いい年した女がときおり異様なみなりを、自分ではいいと思ってしていることにおどろかされる。環になった髪飾り、レース、きらびやかな衣装、異様な首飾り、これらは気の毒にも彼女らの荒れた顔立ちをいっそう目だたせるばかりだ。なぜそんな恰好をするのかといえば、男を誘惑するのはあきらめ、子供のときのように、彼女達には化粧が一ど無償のあそびになっている場合が多い。》(第2巻、214頁)

すごい悪口だ。

一般的にフェミニズムと言えば、男性の権利とのかねあいで女性の権利を政治的に拡張していくことだから、語り口としては必然的に、不当な権利をむさぼっている男性に対する非難になることが多い。だから自分が不当な権利をむさぼっているということに気がつかない男性に対しては、ほとんど悪口になってしまう。

じっさい『第二の性』にもそういう「男性に対する悪口」的な部分は散見されるのだが、しかし『第二の性』がフェミニズムの古典になったのは、おそらくその「男性に対する悪口」が説得的だったからだけではない。なぜならここに引いたように、ボーヴォワールの「女性に対する悪口」も、相当なものだからである。

ボーヴォワールが気にくわなかったのは、それまでの世界のあり方すべてだった。しかしそのあり方に「否!」をつきつけてみたら、たまたま女性より多く男性に非難をたくさん浴びせる結果になった。

『第二の性』では、つまり「男性に対する悪口」が説得的だというより先に、ボーヴォワールがまず悪口が上手かったと言わなければならないのである。


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ボーヴォワール『第二の性』穽読(1) [「穽読」シリーズ]

岩波現代文庫に「精読」シリーズというのがある。

ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」とかスターリンの言語論とか竹内好の「日本のアジア主義」といった、いささか癖のある古典的作品を「精読」したものである。

ちなみに「精読」とは、

《内容をよく考えながら、細かいところまでていねいに読むこと。熟読。》(明鏡国語辞典)

ということである。

たしかにそうやって読むと、ベンヤミンの文章などはすっきりと理解できた気になる。

わたしは性格的に「精読」できないたちで、というのは「細かいところまでていねいに読む」ことはできるのだが、それを「内容をよく考えながら」することができないのである。どちらかというと、内容とあまり関係ないところばかり「ていねいに読」んでいる気がする。

そうして読むと、ベンヤミンの文章なんかはなにを言おうとしているのだかさっぱりわからなくなる。あちこちにとんでもなく斬新なアイデアやとてつもなく明晰な断言が散りばめられていて、それをうっとり噛みしめているといま「暴力批判論」を読んでいるのか「翻訳者の使命」を読んでいるのか忘れてしまうのだ。最初のページにもどってみると、「歴史哲学テーゼ」だったりする。

これじゃあ内容をよく理解しているかどうかテストされたら、落第まちがいなしだな。なにしろなにを読んでいるかさえわからなくなっているわけだから。

思えば、わたしの人生は教師に叱られてばかりであった。

小学校の低学年のころのことである。

「精読」できないわたしは当時から授業の「内容をよく考えながら」座っていることができず、ある日の昼下がり、授業中の教室であちこち授業に関係のないものを「細かいところまでていねいに」観察していた。

そして廊下側の席であったわたしは、ふと窓から廊下へ顔を突き出して校長先生が向こうからやってくるのを発見した。わたしは無邪気な小学生だったので、校長先生に向かって笑顔で手を振った。校長先生も笑顔のようであったが、心なしか表情は強ばっていた。

というのは、校長は授業の様子を見にきたのであった。ちゃんとした授業が行われているかどうか、廊下を巡回していたのであった。

つまり授業中に廊下から顔を出して手を振ってくるわたしの存在は、教師の授業がちゃんとしていないことの証明のようなものである。一学年一クラスの小さな小学校だったが、授業中にそんなことをしている者はひとりもいなかったようである。

わたしは翌日、「授業中によそ見をして校長先生に手を振った件」について、教師からこっぴどく叱られた。

いまになって考えてみると、教師もたぶん、校長からどんな授業をしているのかと注意を受けたのだろう。

どんな授業をしていたのだろう?

それがまったく内容を思い出せないのである。よそ見をして校長に手を振ったことは、これだけ鮮明に覚えているのに。

よそ見をしていなかった級友たちは、その日のその授業の内容を覚えているだろうか。たぶん覚えていないだろう。

だとすれば、「内容をよく考えながら」授業を受けることと、内容に関係ないことばかりに気をとられていることと、いったいどちらが人生を豊かにしてくれるのだろう?

テストや成績の役に立つ授業の受け方もいいけれど、授業中の静かな廊下でとつぜん顔を出されて度肝を抜かれる校長の顔を見るのもいいものである。まあ、教師に叱られることにはなるけれど。

そういうわけで、わたしはそうやって授業中に窓から首を突き出すような読み方を、授業の内容に集中するような「精読」に対抗して「穽読」と読んでみたいと思う。どちらも読みは「せいどく」で、おなじである。

「穽」とは落とし穴のことである。

「穽読」のルールは、行く先に落とし穴が見えたらかならず落ちてみて、その穴を「細かいところまでていねいに」観察することである。そこではよそ見こそ集中であり、わき道こそ本道である。

まあそんな大げさなもんじゃないんだけど。

わたしがいつもやっているいい加減な読み方そのものだからね。

とりあえずいま必要があって読んでいる、ボーヴォワール『第二の性』(新潮文庫、生島遼一訳)でそれをやってみたいと思います。

名づけて「穽読」シリーズ。

次回から『第二の性』のあちこちに仕掛けられた陥穽について、できるだけ正確に報告してみます。念のため書き添えておけば、それらの報告を読んでも『第二の性』の内容がよくわかるというようなことはありませんのであしからずご了承ください。


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