2015年12月 [文芸時評]
毎日新聞2015年12月21日の夕刊に、12月の文芸時評が掲載されました。
《十一月にフランスのパリで同時多発テロ事件が起き、世界秩序の混沌(こんとん)が現実のものとなってきた。現在の世界は大きな曲がり角に立っているが、そのような意味で今年最大の文学的事件は、ミシェル・ウエルベックの長篇(ちょうへん)小説『服従』(大塚桃訳・河出書房新社)の刊行だ。フランスでの発売日が、一月に起きた新聞社「シャルリー・エブド」襲撃事件当日で、近未来のフランスでイスラーム政権が誕生するという内容だったことも、結果として象徴的だった。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・ミシェル・ウエルベック『服従』(河出書房新社)
・金石範「終っていなかった生」(「すばる」1月号)
・リービ英雄「ゴーイング・ネイティブ」(同前)
・牧田真有子「絵姿女房への挨拶」(「群像」1月号)
・綿矢りさ「履歴のない妹」(「文學界」1月号)
の5作です。
2015年11月 [文芸時評]
毎日新聞2015年11月30日の夕刊に、11月の文芸時評が掲載されました。
《注目する作品の書き出しを紹介しながら読み解いてみたい。
(1)吾輩は人間である。
(2)名前はまだない。
(1)は上田岳弘の長篇(ちょうへん)「異郷の友人」(『新潮』)で、(2)は円城塔の長篇『プロローグ』(文藝春秋)である。ならべてみると明らかだが、これらの書き出しは夏目漱石の『吾輩は猫である』を参照している。作品としては、いずれも非リアリズム的で実験的な語り口で、作者が「文学ではないかもしれない」と思いながら書いている自意識のようなものが、おそらく間違いなく文学だと信じられる言葉をそこに呼び寄せている。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・上田岳弘「異郷の友人」(「新潮」12月号)
・円城塔『プロローグ』(文藝春秋)
・高柳克弘「降る音」(「文學界」12月号)
・二瓶哲也「再訪」(「すばる」12月号)
・水原涼「日暮れの声」(「文學界」12月号)
・長嶋有『愛のようだ』(リトルモア)
の6作です。
2015年10月 [文芸時評]
毎日新聞2015年10月28日の夕刊に、10月の文芸時評が掲載されました。
《作家の想像力とはどこまでが個性によるもので、どこまでが時代に制約されるものなのか。そんなことを考えたのは、作家たちの力作にいくつも重なる題材やイメージが出てきたからである。まず、引きこもりとなった中学生の息子をもつ主婦「今日子」を一人称に近い三人称で描くのは、朝比奈あすかの中篇(ちゅうへん)「手のひらの海」(『文學界』)である。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・朝比奈あすか「手のひらの海」(「文學界」11月号)
・高橋有機子「恐竜たちは夏に祈る」(「新潮」11月号)
・黒名ひろみ「温泉妖精」(「すばる」11月号)
・山下紘加「ドール」(「文藝」秋号)
・天埜裕文「アキとユキ」(「すばる」11月号)
・窪美澄「アカガミ」(「文藝」秋号)
・本谷有希子「異類婚姻譚」(「群像」11月号)
の7作です。
2015年9月 [文芸時評]
毎日新聞2015年9月30日の夕刊に、9月の文芸時評が掲載されました。
《日本は戦後七〇年で大きな転換点に差しかかっているが、だからこそ自分たちが本当になにを望んでいるのかを静かに考えたい。そのための言葉として強く文学的な説得力を感じたのは、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を書いた矢部宏治の文に、須田慎太郎の写真が付された『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館)だ。これは戦前の一九三三年に生まれ、一九八九年に即位した明仁天皇の言葉を六章立てで辿(たど)り、重要なものを美しい写真付きで紹介し、解説を加えた本である。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・矢部宏治『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館)
・佐伯一麦『空にみずうみ』(中央公論新社)
・乙川優三郎「まるで砂糖菓子」(「群像」10月号)
・谷崎由依「幼なじみ」(同上)
・吉村萬壱『虚(うつ)ろまんてぃっく』(文藝春秋)
の5作です。
《日本は戦後七〇年で大きな転換点に差しかかっているが、だからこそ自分たちが本当になにを望んでいるのかを静かに考えたい。そのための言葉として強く文学的な説得力を感じたのは、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を書いた矢部宏治の文に、須田慎太郎の写真が付された『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館)だ。これは戦前の一九三三年に生まれ、一九八九年に即位した明仁天皇の言葉を六章立てで辿(たど)り、重要なものを美しい写真付きで紹介し、解説を加えた本である。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・矢部宏治『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館)
・佐伯一麦『空にみずうみ』(中央公論新社)
・乙川優三郎「まるで砂糖菓子」(「群像」10月号)
・谷崎由依「幼なじみ」(同上)
・吉村萬壱『虚(うつ)ろまんてぃっく』(文藝春秋)
の5作です。
2015年8月 [文芸時評]
毎日新聞2015年8月26日の夕刊に、8月の文芸時評が掲載されました。
《今年は戦後七〇年の記事を多く見かけるが、日本は二〇一一年の東日本大震災から二つに分裂していると感じる。被災地とそれ以外、戦後の枠組みを壊そうとする者とそれにしがみつく者などの対立が表面化してきたからだが、なによりそのあいだに対話が成立していないことが気になる。わたしには安保法制の問題もその変奏に見えるが、そのような意味で震災後の日本は、現実の戦争に巻き込まれる以前にもう言葉の戦争状態にある。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・藤谷治『あの日、マーラーが』(朝日新聞出版)
・三輪太郎「憂国者たち」(「群像」9月号)
・黒川創『鴎外と漱石のあいだで』(河出書房新社)
・佐藤モニカ「コラソン」(「文學界」9月号)
の4作です。
2015年7月 [文芸時評]
毎日新聞2015年7月29日の夕刊に、7月の文芸時評が掲載されました。
《最初に意外だった作品から。
まず原田宗典が、ほぼ十年ぶりとなる長篇(ちょうへん)「メメント・モリ」(『新潮』)を発表している。「私は今、何を書こうというあてもなしに、これを書き始めた。こんなふうにして書くのは初めてだ」と書き出される作品は、作者自身を思わせる「私」について時間を自由に行き来して語っていく。なんとなく作品を導いていくのは、表題が「死を想(おも)え」という意味のラテン語であるように、五十代に差しかかる「私」がすれ違ってきた人の死だ。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・原田宗典「メメント・モリ」(「新潮」8月号)
・吉村萬壱「紅い花」(「文學界」8月号)
・村田沙耶香「消滅世界」(「文藝」夏号)
・綿矢りさ「ウォーク・イン・クローゼット」(「群像」8月号)
・藤野可織「マイ・ハート・イズ・ユアーズ」(「文藝」夏号)
・山崎ナオコーラ「ネンレイズム」(同前)
・斎藤禎『江藤淳の言い分』(書籍工房早山)
の7作です。
2015年6月 [文芸時評]
毎日新聞2015年6月24日夕刊に、6月の文芸時評が掲載されました。
《車谷長吉が亡くなった。デビューしたのは一九七〇年代で中上健次の同時代人だが、そののち作品を書きあぐね、一九九〇年代以降「鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)」をはじめとする私小説的な作品で注目を浴びた。戦後文学における私小説は、あたかも一九四五年の敗戦に責任があるかのような批判を受けてきたが、おそらく車谷長吉が選んだのは、そのような「悪」を引き受けられるものとしての私小説である。その死によって人間の「悪」を描く、戦前からつづく小説の貴重な命脈が尽きつつあると感じる。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・古井由吉『雨の裾』(講談社)
・リービ英雄「宣教師学校五十年史」(「すばる」7月号)
・岩井秀人「俳優してみませんか講座」(「文學界」7月号)
・高橋三千綱「さすらいの皇帝ペンギン」(「すばる」7月号)
・金原ひとみ「軽薄」(「新潮」7月号)
・山崎ナオコーラ「越境と逸脱」(「すばる」7月号)
の6作です。
《車谷長吉が亡くなった。デビューしたのは一九七〇年代で中上健次の同時代人だが、そののち作品を書きあぐね、一九九〇年代以降「鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)」をはじめとする私小説的な作品で注目を浴びた。戦後文学における私小説は、あたかも一九四五年の敗戦に責任があるかのような批判を受けてきたが、おそらく車谷長吉が選んだのは、そのような「悪」を引き受けられるものとしての私小説である。その死によって人間の「悪」を描く、戦前からつづく小説の貴重な命脈が尽きつつあると感じる。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・古井由吉『雨の裾』(講談社)
・リービ英雄「宣教師学校五十年史」(「すばる」7月号)
・岩井秀人「俳優してみませんか講座」(「文學界」7月号)
・高橋三千綱「さすらいの皇帝ペンギン」(「すばる」7月号)
・金原ひとみ「軽薄」(「新潮」7月号)
・山崎ナオコーラ「越境と逸脱」(「すばる」7月号)
の6作です。
2015年5月 [文芸時評]
毎日新聞2015年5月27日夕刊に、5月の文芸時評が掲載されました。
《一昨年に亡くなった秋山駿の、二〇〇〇年代以降に書かれた単行本未収録のエッセイを収めた『沈黙を聴く』(幻戯書房)を読んでいると、最近の小説からは「生活」が失われてしまったという嘆きにしばしば出合う。たしかにリアリズムを軽視する現代文学からは、現実を再現することなど容易(たやす)いという侮りと、生活より文学の方が上だという奢(おご)りが透けてみえる。しかしかつて私小説がその役割を果たしたように、現実を再現するためにはなんらかの哲学が必要だし、生活から切り離された文学はやせ細るばかりである。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・西部邁『生と死 その非凡なる平凡』(新潮社)
・高橋弘希「朝顔の日」(「新潮」6月号)
・島本理生「夏の裁断」(「文學界」6月号)
・太田靖久「はじける」(「すばる」6月号)
・加藤秀行「サバイブ」(「文學界」6月号)
の5作です。
2015年4月 [文芸時評]
毎日新聞2015年4月22日夕刊に、4月の文芸時評が掲載されました。
《なんと言っても今月の力作は、星野智幸の長篇(ちょうへん)「呪文」(『文藝』夏季号)だ。現実によく似た、少しだけ現実と違う世界を描くことを好む作家だが、その違いが現実に対する批判を誘導するものではなく、もう一つの現実であるかのように感じられるところが素晴らしかった。視点となる人物を次々と切り替えていく書き方だが、中心となって描かれるのは冒頭に登場する、テイクアウトの食品店を営む三十代の男性「霧生」である。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・星野智幸「呪文」(「文藝」夏季号)
・前田隆壱「朝霧のテラ」(「文學界」5月号)
・滝口悠生「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」(「新潮」5月号)
・藤谷治「ウルチロイックのプーシキン」(同前)
・玄月「三井愛子の悩み事」(「すばる」5月号)
の5作です。
《なんと言っても今月の力作は、星野智幸の長篇(ちょうへん)「呪文」(『文藝』夏季号)だ。現実によく似た、少しだけ現実と違う世界を描くことを好む作家だが、その違いが現実に対する批判を誘導するものではなく、もう一つの現実であるかのように感じられるところが素晴らしかった。視点となる人物を次々と切り替えていく書き方だが、中心となって描かれるのは冒頭に登場する、テイクアウトの食品店を営む三十代の男性「霧生」である。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・星野智幸「呪文」(「文藝」夏季号)
・前田隆壱「朝霧のテラ」(「文學界」5月号)
・滝口悠生「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」(「新潮」5月号)
・藤谷治「ウルチロイックのプーシキン」(同前)
・玄月「三井愛子の悩み事」(「すばる」5月号)
の5作です。
2015年3月 [文芸時評]
毎日新聞2015年3月25日夕刊に、3月の文芸時評が掲載されました。
《一九四七年にはじまった『群像』の創作合評は、現在の文学観を映す鏡だ。今月は、先月の文芸誌に掲載された作品から青木淳悟「匿名芸術家」、羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」、筒井康隆「メタパラの七・五人」が取り上げられている。語っているのは山城むつみ、長嶋有、松田青子の三人。そこで長嶋有が、西村賢太と勝又浩の対談「私小説は精神の自爆テロ」(『季刊文科』64号)にある、勝又浩の発言に言及している。……[全文は毎日新聞で]》
取り上げたのは、
・佐伯一麦『麦主義者の小説論』(岩波書店)
・吉田修一「あたたかい狂気」(「文學界」4月号)
・勝又浩『私小説千年史』(勉誠出版)
・佐藤友哉「ドグマ34」(「すばる」4月号)
・栗田有起「抱卵期」(「文學界」4月号)
の5作です。